追悼文
寺田浩さんを偲んで
ついに行く道とはかねて聞きしかど、昨日今日とはおもはざりしを寺田浩さんが急逝された事には心底驚きました。長年苦楽を共にして来た間柄だけに喪失感は大きく今なお悲哀に胸が張り裂けそうな思いです。
私は寺田浩さんより一回り年上ですが当会発足以来の長い付き合いでした。当会は“関東大学OB・OG囲碁会”と言う名称で12校から発足しました。彼は当初からの役員ではありませんが、OB・OG総会では屡々積極的に参考意見を延べられた事から、当時の役員から好印象を得る事になり、嫌がる彼を次の役員人事で新役員として迎え入れたのを覚えています。後で本人に聞いたところ、「始めは気が進まなかったが、傍で勝手な事を言っているくらいならいっそ中に入ってやってみるかと思った」そうです。当会にはこれが大変良い人事となりました。
あれから28年経ちました。これまで寺田さんは全ての当会行事に一度も休む事も無く参加し、特に東西交流戦、日韓交流戦、では主幹事としてその役割を完璧に果たされました。その責任感の強さと実行力、生真面目さから西日本大学OB・OG囲碁会と韓国大学囲碁連盟からの信任も厚く、よく歴代会長、中園さんや私を支えてくれました。
また、当会に於いても役員の信頼が厚く、やがて幹事長、副会長を経て当会会長に就任されるに至ったのは必然の流れだったでしょう。当会の大功労者でした。
まだ60歳になったばかり。やり残した事もあり、無念だったと思います。
然し、終にはあらぬ別れかは。諸行は無常であり死生は天命に従うほか無いものと諦めざるを得ません。
残された私たちは寺田浩さんの人柄を偲び彼を忘れないでいる事が彼の供養になると思います。
令和元年7月25日 坂本光敏